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NOTICE

広報委員会
大分県中小企業家同友会的広報のすゝめ/株式会社 高山活版社 高山英一郎氏

高山活版社様は創業110年を越え、大分県で最も古い印刷会社と聞いています。そのことについて率直な感想をお聞かせください。

そうですね。もうすぐ100年ですとか、100年超えましたとか、100年という数字に対して、社内的には別に何か思い入れがある人があんまりいなくて。そういう話をする時は大体同友会の場で「あんたのところすごいな」って言ってもらえて、ありがたいお話です。数字自体に大きな重みはないとずっと思いながらも「そういう歴史こそ誰もとって代われるものじゃないし、ポンと持ってこれるものでもないから、やっぱりそれだけ続いてることには意味があるんだよ」と言ってもらえて、そうだ、代々の社長とそのときの社員とその家族が頑張ってくれたから今6代目をやらせてもらえているんだ、確かに100年続いてるってすごいことなんだと改めて実感しました。そしてそれを理解したときに、プレッシャーが増したというか、どんな形でも絶対続けていかなきゃいけないと思っています。

昨今、国際情勢や原油高など厳しい状況を迎えていますが、それを踏まえた上で高山社長が考える印刷業の現状と、印刷業自体の将来の展望があればお聞かせください。

仰るとおり情勢は大変厳しく、この数年印刷に関わる資材は全て値上がりを続けています。去年の11月に、年明けたら紙が15パーセント以上あがりますよ、と言われて。怖いんですが、なんて言っていたら、昨日一昨日ぐらいにまた、もう1回値上げしますって情報が入ってきた。2週間前ぐらいには、今まで外注をお願いしていた製版会社さんが今年の8月に会社を閉じるという話が、たまたま同友会の流れで耳に入ってきた。なんか、とんでもないことになってきたなっていうのはずっと感じてきたんですけど、ここまでの危機感は初めてです。でもこれって、このエリアだけの問題ではなく、印刷業界の来るべくして来た事態になったんだなと。ただ、戦争やコロナで想定より一気に早く来ただけなんだと。

そもそも今、デジタル化で紙の印刷物にすることがどんどん減っていますよね。そのうち、紙でパンフレット作ってますということが、今弊社が活版印刷で名刺作っていますっていうのと同じくらいのインパクトになってくるんじゃないかと思っていて。実際に某ディーラーさんは紙カタログを廃止しますという発表をされていますし、今まで以上に価値のあるもの、意味のあるものじゃないと紙に印刷されるっていうことはなくなるのでしょうね。
だからこそ、高山活版社は“わざわざ”印刷することを突き詰めていきたい。うちでしか作れない物を作って高山活版社は継続していこうと考えています。

そういった流れから、現在の外部デザイナーとの協働とか、自社プロジェクトの開発に繋がるわけですか?

きっかけは活版印刷を復活させたところからですね。以前、デザイナーさんが会社に来るのは、データや仕上がりの確認程度だったのですが、活版印刷がきっかけにたくさんデザイナーさんが来るようになって、今に繋がっています。

そもそも外部デザイナーとの協働や独自商品の開発を行おうと思った最初のきっかけってなんだったんですか?

活版印刷機を復活させたと告知したその後しばらくして、同友会の総会だったと思うのですが、印刷屋ならデザイナーさんと繋がってるといいよと、佐伯支部所属のユーンデの櫻井さんを紹介されたのです。櫻井さんは印刷機が動くを見るのが大好きなんですよと言ってくださって。じゃあその櫻井さんに活版を使ったデザインをしてもらったら、どんなものができあがるんだろうと思って、僕の名刺のデザインをお願いしたんです。
しばらくして名刺が出来上がったんですが、とても衝撃でした。データをもらって印刷するという立ち位置でやってきた自分には絶対に考えられないような、しかも活版印刷の面白さをしっかり理解して活かしたデザインで。なんかこう、自分でもちょっとぐらいデザインできるんじゃないかなとチラリとでも思っていたのが完全に覆された。ああ、やっぱり餅は餅屋なんだと。関わった社員や職人も楽しい、面白いって言ってくれて。
出来上がったものを配れば、もちろん印刷屋が見たことないものをみんなが見たことがあるわけがなく、大層大事に持ってくれたり、事務所に飾ってますと言ってくださったり。
ああ、なるほど。この活版印刷の活かし方を外部の人に託したら、自分たちが想像もできない、人に喜んでもらえたり、大事にしてもらえる印刷物が作れるんだと実感したんです。
その時から、一気に壁がなくなり外部のデザイナーさんと組むということが増えていきました。むしろ、それを転機にいろんな人たちと組んで、うちの活版や設備を使ってどんどん素敵なデザインや印刷物を生み出して欲しいと思うようになりました。

活版の世界観が広がったんですね。

そうですね。いずれまた景気が戻って良くなるのかなぐらいの期待程度で、会社の未来が全然自分でも見えてこなかった。でも、活版のような他社にはないもので、それを使い倒し切る職人がいて、活かし切るデザイナーがいて。もしかしたらこういうことで会社の未来を想像できるのかなというスタートにはなれましたね。

なるほど。そういったサービスを展開する一方で、2020年より新たな取り組みとして、ロフトワークという在京のデザインコンサルティングファーム企業と連携されました。そのあたりのお話をぜひお聞かせください。

僕の姉も会社にいますが、姉も僕も、会社の魅力や強みを理解した上で、活かしたり発展させてくれるような相談相手はずっと探していたんですよ。
そんな中、ロフトワーク先代社長が、大分で講演をすることを姉が聞きつけて。姉はずっとロフトワークに興味があったらしく、私に一緒に聞きにいこうと誘ってくれたんです。で、実際に講演を聞いて、この企業ならうちのことを理解して相談できそうだと感じて、すぐ見積もり依頼をかけたんです。
すると、向こうから「私が対応します」と連絡してきてくれた人が、五、六年前に別府でデザイン系のセミナーがあった時に、その時の懇親会で隣の席に座って、初対面なのに二人で酒飲んで熱く語り合った人じゃないかと(笑)。「そうです。あのときの井上です!」と。
井上さんって確か玖珠の町おこし協力隊のようなものに参加されていたはずだったので、あれからどうされたんですかと伺ってみると、地元の玖珠出て、いつかは大分の企業の応援をしようと、上京してロフトワークに入りましたとおっしゃるんです。転職して1年も経たないうちに、まさか高山さんから申し込みが来ると思ってなくて、僕が窓口になるので一緒に頑張りましょう!と言ってくれて。ああ、これは間違いない。こんなご縁は絶対何かあるはずだと私も俄然やる気が出てきたのです。

それはすごい偶然ですね。そこから一気にロフトワークとの連携が始まったんですね。

いえいえ。まず見積もりをとったんですが、これがなかなかいいお値段で(笑)。オンラインの打ち合わせを何度も重ねて、予算の摺り合わせを行ったんですが、うまく行かなった。
ある日の打ち合わせの時に、井上さんの上司の方が初めて同席されたんですが、その方が私と姉に「高山さん、今から高山活版社をどうしたいのか、もう一度想いを聞かせてください」とおっしゃられた。私も姉も必死に想いを伝えたのを覚えています。話終わるとその方が「高山さん、うちの会社ではおたくの予算では無理です」と。その言葉を聞いてがっくり肩を落としたのですが、その方がこう続けたんです。「うちの井上は入社して間もないので実績もほとんどないのに、地元の企業のためにと社内を走り回ってるんですよ。みんなに相談したり、頭を下げて回ってるのを見て、ずっと何してるんだろうと気になっていて。いざ話を聞いてみたら予算がないと。だからお断りするために出てきたんですが、お二人の想いを聞いて、私も考えが変わりました。私も一緒になって考えるので、もうお金のことは後回しにしてもやりましょう」と。
プロジェクトが始まる前から応援して走り回ってくれてる人がいて。だからスタートすることもできた。井上さんには感謝しかありません。

実際にロフトワークと連携してどうでしたか?

あっという間の期間だったんですが、あんなにワクワクして、脳みそを振り絞っていろいろ考えることとか、もうないかもしれませんね。
今考えても、ロフトワークチーム、特に今回担当してくださったお三方の聞く力、引き出す力、そして整理力とその視座の高さ。文化的なこと、歴史的なこと…うちのことを含め見ながら、何か高い視点からものを見たり考えたりしてるのが、すごいなあと。
ロフトワーク側でも弊社とのプロジェクトは評価され、その記事がロフトワークのWEBで発信されたりして、プロジェクト後もうちの会社に取材とか見学希望がありました。
高山活版社的にはこれをきっかけに取引が生まれたり、深い繋がりになった方もいる。社内的にはこれで一致団結できた…とは残念ながら言えないかもしれない。ミッションやステートメントを整理して、高山活版社はこういう方向に進んでいくよって決まっていても、それでもやっぱりグラグラすることはある。でも、大きな方向転換なんてもうないし、ぶれるつもりもない。今回のことは人により解像度も違うけれど、何年か後に、2022年のあの時期は色々あったけど乗り越えてよかったよねってきっと言えると思っていて。色々心配なところももちろんありますが、ガラッと変えるなんて難しい。うん、コツコツやって行くしかないですよ。

ロフトワークとの成果の一つが、自社のミッションやステートメントが言語化されたことかと思いますが、自分たちの想いや方向性が、最終的に「文章」となって表現されたのを見た時、どう思われましたか?

最初に紙ベースで経営チームに説明があった時、その文章は短く抽象的でぴんとこなかった部分もあったのですが、「今、高山さんたちが結局100年以上続いてるのは、情報を知らせるための印刷物を正しく作ってきたから選ばれているんですよね。そしてこれから高山さんたちがしたいのは、情報だけじゃなくて、情緒も伝わる印刷物を作るのが面白いと思ってるんですよね」と説明があった。その通りで、ただデザイナーさんと仕事面白いよねじゃ意味がわからない。デザイナーさんが情緒が動くような想いで作られた具材を、高山活版社で活版だろうが、オフセットだろうが印刷して形にして、その情緒を伝えていきたい。ああ、確かにそうだ。その説明を聞いてストンと落ちた気がしました。
言語化の凄さという意味では、別にそれを実感したことがあって。今プロジェクト内の文章作成に関わって頂いたライターの山村さん、この方は大手コーヒーチェーンのブランドブックのライティングもされた著名な方なのですが、この方から、プロジェクトとは別でプレゼントして頂いた「言葉」があって。個人的なものなので、ここでは詳しく言えないのですが、それを見たときに感動して泣いてしまったんです。今の迷いや心配、昂りなどを感じて汲み取ってくれていて。それを見て泣いてしまったときに、こんなに文字というものには力があるのかと、文章の力というものを見直させられた。想いの言語化、そして想いを残していくということの重要性を身を持って体験させていただいたと思っています。

今までのお話からも分かるように、高山活版社様は現在進行系でブランディングに積極的に挑戦されていますが、そんな高山社長にずばりお聞きします。中小企業にブランディングは必要だと思われますか。

会社がどんなことを、どんな思いで、どんなものを作れるんですというのを知ってもらうこと、それを僕はブランディングだと思っていますが、ブランディングが必要ないなんてありえないと僕は断言します。そもそもブランディングができないなんてことが無理な話なんです。広報活動をしなければ会社は生きていけません。「いや、うちはブランディングなんか必要ないですよ」ってブランディングをしない社長がいるとしたら、「あの会社、ブランディングなんかしなくても右肩上がりで、すごいですよね」っていうブランディングを知らず識らずのうちに行っているんだと、僕は思っています。広告をしない? 誰とも会わない? どういう状態になったらブランディングしないという状態になるのかわからないですが、社長が外を歩いて、社名を言った時点で、もうそれはブランディングの一部なのかなと僕は思いますね。
なぜ、僕がそんなことを思うのか。それは高山活版社にいるからかもしれません。高山活版社は100年以上大分で事業を行ってきましたが、その100年間、常に顧客目線であったかといえば、そんなことはなく。「歴史ある高山家」。そんな言葉の上に胡座をかいて、殿様商売をしてしまった過去がきっとあると思います。うちのこと誰でも知ってるだろうし、仕事持ってきたんならやってやろうじゃないか、みたいな。
でも、これからの高山活版社は違います。こちらから会社の魅力を伝えて、知ってもらって、話を聞いて頂いて、その上で選んでもらって、そしてお仕事を頂く。そのためにはもっともっと発信して知ってもらわないと。ネットワークも広がらないし、選ばれない。高山活版社の次の100年はそういう風に歩んでいきます。

最後に一つお聞かせください。高山様が考える「活版」とは何でしょう?

印刷の……文化ですね。
印刷のやり方のひとつでしょ? いえいえ、そういう手段的な話ではなく。紙に印刷して、物が残って、それに後世の人間が情緒を感じられる、文化なんです。そんな素敵な文化、もちろん活版だけではなく印刷総て含めての話ですが、僕はその文化を絶やしたくないし、文化を紡いでいけるこの高山活版社をずっと続けて行きたいんです。

ありがとうございました

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