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「危機に負けない中小企業 No.6」(株)田中工藝 代表取締役 田中賢二氏(豊後高田支部会員)

バブル崩壊後中国へ、その後日本の仕事に注力
(株)田中工藝は、江戸時代から続く伝統工芸「彦根仏壇」の宮殿職人として、田中賢二氏の祖父が1921年に滋賀県で分家、創業し仏壇の製造を行っていました。人の採用が難しく、「地方に行けば採用ができるかも」と考え、候補地を探し、1988年に豊後高田市美和工業団地に進出しました。

 それまでは中高級品の仏壇を製造していましたが、バブル崩壊とともに売上は減少。そこで、コストの安い中国に進出し、仏壇の製造を始めました。中国での仏壇製造は順調に推移しましたが、それに伴って本社の田中工藝の仕事が減ってきていました。田中氏は中国と日本を行ったり来たりの生活をしていましたが、「どちらかに注力しなければいけない」と考え、日本にある田中工藝の経営に集中することを選びました。これには、「縁があって働いてくれている社員に申し訳ない」という気持ちが大きかったと言います。

仏壇の製造から木製家具住宅設備機器製造へ
仏壇の需要が低迷する中、木のおもちゃ、ゲームセンターのゲーム機、ウッドデッキなど「木」とつくものは何でも作り、売上を稼ぎました。1994年に木製パネル(間仕切り壁)、2年後にはミニキッチンの製造を開始。2000年には仏壇製造から撤退し、木製家具住宅設備機器の製造に特化するなど、業態を変化させ危機を乗り越えてきました。

田中工藝はそこで人生を送る社員のためにある
大手賃貸業者との取引も始まり、売上も増えていたところにリーマンショックが起こりました。売上が大幅に減少する中、「中小企業は社員を簡単に解雇できない」という思いから、社員の雇用を守ろうと雇用調整助成金を活用しました。田中氏は「大学4年生の時、就職の内定をもらっていましたが、留年してしまい田中工藝でアルバイトをしていました。その時に後継者ができたと、社員が喜んでくれました。それがきっかけで会社を継ぐことを決めました。その頃から田中工藝はそこで人生をおくる社員のためにあると考えてきました」と、社員を大切にする理由を教えてくれました。

新規事業の立ち上げ
大手1社依存の体質を見直し、様々なところに営業を行い、売上を分散させることができました。また、これまで設計部門がなかったのですが、設計を学んだ田中氏の息子さんが入社することにより、自社でデザイン、設計が一貫してできるようになりました。そこで、「理想の暮らしをかたちにしよう」と自社ブランド「RILNO」を立ち上げました。売上の80%は首都圏のお客さんです。

新型コロナウイルスの影響は大きく、商品が入らず、工事が進まない日々が続いていました。その間、有給休暇の取得、5S活動、工場のレイアウトの見直し、機械の整備や、今までやったことのない加工を行ったりと準備を進めていました。そのおかげで6月はなんとか持ち直すことができました。

田中賢二氏からのメッセージ
「1社に依存していた時には、その経営は間違っていると言われました。確かにリーマンショックの後、売上は大幅に落ちましたが、いかに安く、早く良い商品を作るかということが身に付き、今思えば全く無駄ではなかった。どの段階で評価するのか難しい。失敗してもその後、どう活かすかが重要です。当社は来年、創業から100年を迎えます。仏壇の製造から事業形態は変わりましたが、100年間モノづくりに取り組んできました。その精神は今もしっかりと受け継がれています。会社を取り巻くひとたちのためにも事業を継続させていくことが大切ではないでしょうか。」

会社概要
所在地 豊後高田市美和110-5
創 業 1921年
資本金 500万円
社員数 55名
事業内容 オーダーキッチンの企画・製造
http://tanakakougei.jp/

<経営理念>
【社訓】
「感謝・信頼・革新・創造」
【理念】
「心のこもったものを造ろう

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